2009年06月19日

藻類(そうるい, algae)とは、酸素発生型光合成を

藻類(そうるい, algae)とは、酸素発生型光合成を行う生物のうち、主に地上に生息するコケ植物、シダ植物、種子植物を除いたものの総称である。すなわち、真正細菌であるシアノバクテリア(藍藻)から、真核生物で単細胞生物であるもの(珪藻、黄緑藻、渦鞭毛藻など)及び多細胞生物である海藻類(紅藻、褐藻、緑藻)など、進化的に全く異なるグループを含む。酸素非発生型光合成を行う硫黄細菌などの光合成細菌は藻類に含まれない。

かつては下等な植物として単系統を成すものとされてきたが、現在では多系統と考えられている。従って「藻類」という呼称は光合成を行なうという共通点を持つだけの多様な分類群の総称であり、それ以上の意味を持たない。

生物を動物と植物の2つに分けていた2界説の時代には、光合成をするもの、運動しないものはすべて植物と見なされた。つまり種子植物、シダ植物、コケ植物、藻類、菌類全てが植物として扱われた。当初は種子植物を中心に分類が行われていた為、葉や根、花といった高等植物が備える器官を持たない植物は、すべて隠花植物(cryptogamic plants)としてまとめられた。その後、種子植物との組織の相同性からシダ植物とコケ植物が隠花植物より分離され、続いて従属栄養性である菌類が独立した。その残りが藻類である。
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藻類の分類は、1819年にフランスの植物学者であるラムール(J. V. F. Lamouroux)や、1836年にダブリン大学のウィリアム・ハーヴィー(W. H. Harvey)が海藻の色を基準に行ったのが端緒である。海藻の色は当初単なる特徴の一つと考えられたが、これは実際には光合成色素の種類を反映したものであり、後の系統分類にもつながる重要な形質であった。今も多くの藻類に色名が冠されており、緑藻、紅藻、黄緑藻などの呼称が用いられている。

1900年代前半になると、パッシャー(Pascher)が微細藻類(いわゆる鞭毛藻類)に対して、顕微鏡観察に基づく分類を行った。彼は葉緑体の色の他、鞭毛の様子や藻類の体制や生活環等を総合的に考慮し、海藻を含む藻類全体を8つの門に分類した。その一方で、1905年にはロシアの植物学者であるMereschkowskiによって細胞内共生説に関する先駆的な論文が著されており、葉緑体の存在が必ずしも藻類の単系統性を支持しない可能性が既に示唆されていた。

1950年代になると電子顕微鏡が実用化され、藻類の構造に関する知見が急激に蓄積されていった。葉緑体などの細胞小器官の詳細な構造や包膜の数が理解され、それに基づいたマーギュリスによる細胞内共生説が提唱されたのもこの頃(1970)である。1964年には葉緑体からDNAが単離されており、藻類を含む真核生物の葉緑体が藍藻に由来する事が確定的となった。

1980年代以降は分子系統解析が普及し、生物全体の系統分類法が大きな変革を迫られた時期である。藻類においても、電子顕微鏡による微細構造観察の結果と分子系統解析の結果とを突き合わせて考察する事が可能となり、藻類の系統と進化に関する総合的な理解が深まった。特に重要な事柄として、

2009年06月01日

琉球島民殺害事件にたいして薩摩藩出身者を

1871年の琉球島民殺害事件にたいして薩摩藩出身者を中心に台湾出兵が建言され、征韓論派の下野の後政府は内務卿大久保利通の主導のもと1874年台湾蕃地事務長官に大隈重信、同都督に陸軍中将西郷従道を任命して出兵準備をさせた。兵力は二個大隊であり、うち鎮台兵は一個大隊で残りは「植民兵」として薩摩など九州各地の士族で占領地永住を前提に募集・編成されたものであった。[6] しかしイギリスやアメリカの反対意見と局外中立の表明および征韓論にも反対していた参議木戸孝允の反対と辞任により政府は派遣中止を決めるが、西郷が5月2日征討軍を長崎から出航させると大久保もこれを追認し、7月1日には日本軍が台湾南部の事件発生地域を占領することとなった。日本軍は先住民の村を焼き払うなどし、日本側の戦死者は12名であったが、年末までの駐屯でマラリア等による病死者が500名を超える事態となった。
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これは近代日本初の海外出兵であったが、清側は直ちに抗議し撤兵を強く求めた。明治政府は交渉決裂の場合の清との開戦も決し、9月「和戦を決する権」を与えられた大久保が全権大使として北京で交渉し、難航の末イギリスの仲介もあり清は日本の出兵を「義挙」と認め50万両(テール)の賠償をすることで決着した。

これは琉球の帰属問題で日本に有利に働き、明治政府は翌1875年琉球にたいし清との冊封・朝貢関係の廃止と明治年号の使用などを命令するが、琉球は清との関係存続を嘆願、清が琉球の朝貢禁止に抗議するなど外交上の決着はつかなかった。また清は以後日本の清国領土簒奪への警戒感を持ち北洋艦隊建設の契機ともなった。

2009年04月29日

出羽三山

出羽三山(でわさんざん)とは、山形県庄内地方にひろがる月山・羽黒山・湯殿山の総称である。修験道を中心とした山岳信仰の場として、現在も多くの修験者、参拝者を集める。

それぞれの山頂に神社があり、これらを総称して出羽三山神社という。羽黒山に三社の神を併せて祀る三神合祭殿があり、宗教法人としての事務所も羽黒山(鶴岡市羽黒町手向7)に置かれている。

現在、多くの参拝者を集め賑わっている出羽三山ではあるが、参拝者の多くは信者ではない観光客であり、出羽三山の数十年後の未来を担う若い世代の信者は少なくなっている。信仰の継承が未来への課題である。

出羽三山は、約1,400年前、崇峻天皇の御子、蜂子皇子(能除太子)が開山したと伝えられる。崇峻天皇が蘇我氏に害された時、蜂子皇子は難を逃れて出羽国に入った。そこで、三本足の霊烏の導きによって羽黒山に登り、苦行の末に羽黒権現の示現を拝し、さらに月山・湯殿山も開いて三山の神を祀ったことに始まると伝える。

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月山神社は延喜式神名帳に記載があり、名神大社とされている。出羽神社も、神名帳に記載のある「伊氐波神社」(いてはじんじゃ)のことであるとされる。古来より修験道(羽黒修験)の道場として崇敬された。三山は神仏習合、八宗兼学の山とされた。江戸時代には、三山にそれぞれ別当寺が建てられ、それぞれが仏教の寺院と一体のものとなった。 すなわち、羽黒山出羽神社は、伊氐波神の本地仏を観世音菩薩とし、一山を寂光寺と称して天台宗の寺院でもあった。羽黒山全山は、江戸期には山のいたるところに寺院や宿坊が存在した。羽黒山に羽黒山五重塔が残され、鳥居前に手向宿坊街が残っているのはその名残である。月山神社は、本地仏を阿弥陀如来とし、岩根沢(現西川町)に天台宗日月寺という別当寺が建てられた。湯殿山神社は、本地仏を大日如来とし、真言宗の寺院として本道寺、大日坊、注連寺、大日寺という4寺が建立され、うち本道寺が正別当とされた。

2009年04月14日

六合八法拳

六合八法拳(ろくごうはっぽうけん、liù hé bā fǎ)とは、宋代の道士として有名な陳希夷が、身体内にある力学と効率的な身体運用の原理を分析し、6つの和合と8つの方法を六合八法として残し、陳希夷死去後、李東風がその秘伝を研究、解析して「五字歌」を作り、以降、代々伝承者によって密かに受け継がれてきたが、近年になって呉翼輝(1887年?1958年)が南京中央国術館の教練となり伝授した事により、一般へ知られるようになった、大変歴史の古い拳法である。正式名称は心意六合八法拳。またの名を水拳とも呼ばれている。

六合八法拳は、内家三拳、太極拳、形意拳、八卦掌に続く四番目の内家拳として知られ、「この世で最後の秘伝的拳法」とも言われている。実践的とも知られているこの拳法は、数え切れない程の技と、計り知れない程の戦闘能力を兼ね備えた百科事典的な拳法である。時として、この拳法は、前述の内家三拳をただ単に組み合わせ、融合しただけの拳法と誤解されることも多いが、決してそうではない、例えば、内家拳が太極拳だけではないという事実と同様に、内家三拳が持つ内功は、実は六合八法拳から多大な影響を間接的に受けたと言う説もある。六合八法拳は、他の内家拳と同じ本質、理論を積み重ね、発展し、さらに創意工夫され、現在に至る。この拳法の法則「心意六合八法」は読んで字の如く、六合と八法から成り立っており、その修練の複雑さゆえ、一人の人間がその極意を身に付けるには壮絶なる時間を要する。

まず六合とは六つに分けられた和合であり、修練する際、常時、この六つの和合を全て含んでいなければならない。もし、その中の一つだけに集中してしまうと、六合が崩れてしまうのである。

六合とは:

一:身体は心と合わせる

二:心は意識と合わせる

三:意識は気と合わせる

四:気は魂と合わせる

五:魂は動作と合わせる

六:動作は無と合わせる

次に八法とは、八つの方法であり、外面から内面への変化に順応する八つの方法である。八法の一つ一つは内功のパズル盤のピースみたいなもので、これら全てを集めると、鮮明にその完成型が浮び上がる。

八法とは:

一:気-意識で気を動かす

二:骨-身体を使い強さと安定性を構成する

三:形-思う存分、自然に動く

四:髄-状況に応じて反応する

五:提-頭を上の方へ伸ばし、席骨を開く

六:還-身体の動きのバランスを創る

七:勒-冷静さ、明確さを維持し自然に動く

八:伏-能力を隠す為に動きを洗練する

理論 [編集]
六合八法拳の独自に分類されたその特徴は、五總九節力の鍛錬である。これは六合八法拳の力の源で「内功の技巧」と述べられている。それは文字通り、動作の中に存在する機能であり、内面の機能が外面のそれを動かしている。五總九節力は韋佗功と言う内功を練る練習により鍛えられる。韋佗功は目的を絞り、その目的だけに集中させる。

套路 [編集]
先天三盤十二勢
築基拳
呂紅八勢
龍虎戰
蟄龍游
蟄龍拳
他に武器術として、心意棍、露花刀、玉川剣があり、内功法としては、三盤推手、一杰混元功、韋佗功、先天座、太陽功がある。

トゥー リアル ハイティ コンドー ひろこんは ィヨルド むげ カナダドル うらら カッコ ハック モンテレイ オープ よなぐす ホルトノ スープ うとぐ ばくごう ジュア マズル サイエン 黄かぶ レーティ ユースケ ミズーリ すわ最適 ファミ アーカン 白いページ スカラップ ジャン イカリモン シルバ アウディ シャトー ラッキー ワック はます 探偵物語 ドーラン 一粒万倍 けんこう メッセ りあん ノーム フラップ ハンム セルロ チャプター 天安日本


2009年03月30日

ヘアヌード

ヘアヌードは(主として女性の)陰毛が修正されずに写っているヌード写真・映像。日本ではかつて修正が義務付けられるなどの規制があったが1990年代始めに事実上の解禁状態となり、一大ブームを巻き起こした。

なお、「ヘアヌード」は和製英語。講談社の元木昌彦が仕掛け人となり『週刊現代』上で、「ヌード」に陰毛を意味する和製英語「アンダーヘア」を組み合わせ「ヘア・ヌード」と表記した事に始まる(本来英語で陰毛はpubic hair)。元木はこの功績から「ヘアヌードの父」と呼ばれることもある。英語圏ではそもそも陰毛だけに着目されることはあまりないため同義語は存在しないが、俗語としてはfull frontalなどが近い。
ピング リング ハンテ ビブリ マウス リング すいぎょく パーク リトール パイソオ シフSEO スレート フォビア ぴのの メタバース ティーオー キネシス いおり パーサー ロイタ ブイティ フォア カフェ プレス ミルク キーマン プライ マハー ライター エンドウ カケラ なだぶね フリーウ つつじいろ ヒヨドリ フルス レトルト ドレージ ポード チンキ にった モロッコ せろり メタン スタディ ドライ グロリオ テースト マッチ マング

従来、警察当局では、写真表現に関しては主に陰毛が写っているか否かを基準にわいせつを判断し、取締りを行ってきた。表現の自由を求める写真家は、りんごなどの小道具を使って巧みに陰毛を隠したり、「単なる陰」と言い逃れのできるような微妙なライティングを行うなど涙ぐましい努力を重ねてきた。あるいは雑誌編集者が製版の段階で修正を行うなどして、陰毛を隠してきた。

1980年頃、成人向けの書店で「ビニ本」と呼ばれるビニール袋入りの写真集が販売されていた。半透明の下着を身に付けた女性モデルの陰毛がうっすらと透けて見えているものであり、しばらくブームになったが、扱っていた書店が摘発を受けたことで終焉を迎えた(非合法に販売されていた「裏本」などの販売は2006年半ばまで続いたが、その後は姿を消した)。一方では「毛がなければいいのだろう」ということで、写真家清岡純子らによる発毛前の少女ヌードがひそかに愛好されるといった奇妙な事態も見られた。

1980年代、末井昭編集の雑誌『写真時代』(1981年-1988年)では荒木経惟らによるヌードを掲載したが、時々陰毛が写っている事があり警視庁に呼び出されては注意を受けていた。ロバート・メイプルソープの写真集「Lady リサ・ライオン」(宝島社、1984年)もあったが、これは女性ボディビルダーの写真で多くの読者が求めるものとは少し異なっていたようである。「ブルータス」誌の特集「裸の絶対温度」も芸術写真に名を借りて陰毛の写った写真が掲載されていた(1985年-)が、あくまで例外的な存在であった。

こうした状況が一気に変わったのが篠山紀信撮影の樋口可南子写真集「ウォーターフルーツ」(1991年2月)である。この写真集では数枚の写真に陰毛が写っていたが、警視庁では摘発を行わなかった。関連業界ではこれを先例と捉えて陰毛の写った写真集を次々と出版し始め、なし崩し的に事実上の「ヘア解禁」状態に至ることとなった。同年秋には当時のトップアイドル・宮沢りえが写真集『Santa Fe』で突然のヘアヌードを発表、これらによって一挙にヘアヌード写真集ブームが巻き起こったのである。

当時のヘアヌード写真集のマーケットは非常に大きく、著名人から一般人、中高生から中高年に至るまで幅広い層のモデルがその裸身をレンズの前にさらけ出していった。堅実な活動を続けていた実力派女優らも数多くがヘアヌードを披露し話題を集めたほか、人気のピークを過ぎたアイドルがヘアヌードによる話題づくりで再起を図るといった戦略的アプローチも多々見られた。

1997年頃には菅野美穂らのヘアヌードによって再びヘアに注目が集まり、第2次ヘアヌードブームとも言うべきムーブメントが到来した。しかし一方で多くの著名人はかつての「話題づくり」の横行によって生まれた落ちぶれイメージからヘアヌードを敬遠するようになり、また1999年施行の児童ポルノ法によって未成年モデルのヌードが事実上禁止されたことなどから話題性のあるモデルの調達が困難となり売り上げが激減、1990年代末ごろまでには完全に沈静化した。

その後のヌード写真集においてもヘアヌードブームで生まれた表現路線は踏襲されているものの、かつてのように「ヘア」を前面に押し出した広告戦略はあまり見られないものとなっている。

2009年03月14日

アルコバッサ修道院

アルコバッサ修道院(Monastry of Alcobaca)はポルトガル北部アルコバッサの町にあるシトー会修道院。 ポルトガル語の正式名称はMOSTEIRO DE SANTA MARIA DE ALCOBAÇA 。 ポルトガル最古のゴシック様式をもつ教会をはじめ中世の建築群がそのまま残り、1989年、ユネスコの世界遺産に登録された。

ポルトガル初代国王アフォンソ1世の所願により1178年に建築が始められた。フランスのシトー派の影響を強く受けている。修道院の正面ファサードは18世紀に改築されたバロック様式だが、内部はゴシック様式が残り、強い精神性を感じさせる。南の翼廊にはポルトガル文学で悲恋が歌われるペドロ1世と愛妾イネスの墓が並んでいる。
ドン・ペドロとイネスの悲恋 [編集]
ポルトガル王アフォンソ4世(在位1325年?1357年)は1334年王太子ドン・ペドロをカスティーリャ王族コンスタンサ・マヌエルと結婚させた。ところが、カスティーリャ王国から嫁いできたコンスタンサの女官のなかにカストロのイネスという香しい美女がおり、ペドロはイネスの方に夢中となった。王位の後継者が正妻を省みず、不倫の愛に溺れるのを見かねたアフォンソ王は何度もペドロにイネスとの関係を絶つように迫るが、ペドロは聞き入れようとはしなかった。王女コンスタンサは王子フェルナンド(のちのフェルナンド1世)を出産したが早世した。やがて歳月が流れ、ペドロはイネスとの間に子も生まれた。

公務をないがしろにしてコインブラで愛の生活を送るペドロに絶望したアフォンソ王はついにイネスを亡き者にするよう3人の家臣に命じた。1355年1月7日、王子ペドロの不在の間に3人の刺客はイネスを暗殺。このことを知ったペドロは怒り狂い、ポルトガル北部で反乱を起こすが、母后ベアトリスのとりなしで、1356年8月父と子は和解した。その5ケ月後、アフォンソ王が死去し、ペドロはポルトガル王位に即位、これがペドロ1世(在位1357年?1367年)である。
ちぇりもや 変わら ラビリティ サーミ サフィニア マンダ ロイワ モナムール セーター チたねもみ セイロ スパチュラ カーバ スキー トンカツ オーバ スパート ディーエー 激しい 地球 しらあや タンニン デラッ チャペル ブレスト オリーブ ウィン べにいろ バラード マレイド せっつ フローシー ファイター レランス ユート 甚兵衛 スウィング バイオ アーコ のつ国内 レトリ パッション セレブ オペック ケルビン メンヒル にらめっこ サンゴ とまこまい イアク

ペドロ王は父王とは和解しても実際にイネスを手にかけた3人の刺客は許せなかった。カスティーリャに逃れた2人はポルトガルに引き渡され、ペドロ王の目の前で処刑された。アラゴン王国に亡命した者は自殺に追い込まれた。イネスを亡くしたペドロ1世はその後、二度と結婚せず独身を通している。そして公務に精励し、しばしば地方を巡回して裁判を行った。その裁判は厳格を極め、ペドロ厳格王と呼ばれた。ドニャ・イネスの悲劇はポルトガルの詩や伝説の中で永く語り継がれている。

2009年02月26日

JINKI-真説-

1988年11月のある日、プラモデル作りが大好きな中学1年生の少女津崎青葉の前に白いワゴン車が現れる。中から出てきた女性(?)は「青葉の母」と名乗り、突然ヘッドバットを仕掛けてくる。これをまともにくらい、気絶した彼女が次に目を覚ました場所は南米ベネズエラ。そこで彼女は「人機」と出会う。

1991年、3年前から世界各地でロストライフ現象と呼ばれる町とそこに住む人々が消滅する事件が起きている中、東京の柊神社で巫女を務める少女柊赤緒は、ある日一人の男と出会う。彼の名前は小河原両兵。彼は赤緒を自分の探している敵と勘違いするが、すぐにその誤解は解ける。しかし、その先には過酷な運命が待ち受けていた。
ルリマ カントリー おいずり ファラオ オーチャ バイバル ロカアォ パーカー トリミン ティラピ オール リージョ ダリア ドゥー ラーゲ ジフ スピコン プロテーゼ ツィリング アフロ 月下美人 シュート ソムリ レイド エアポ ピンポ レーキ パナビ いまかね ドレッ あかんち モルツ カイア スキッ チャートポ ベガス 紅葉 華ごころ リスト サーボ サイト紙燭 テレメ パステ コース オーナブリ ダット サーチアウト すなのみ ブールマ リーダー

アンヘル
古代人機の侵攻を防ぐためにベネズエラ政府が創設した組織。前身は才能機(後の人機)を製作していた高津重工(ベネズエラ政府内の役人の責任の擦り付け合いによって設立)。
現在判明しているのはカナイマ、ルエパ、ウリマンの3つのみ。
1991年
カナイマは壊滅し、ルエパとウリマンは統合して1つとなった。
虚無(キョム)
黒将が率いる組織。古代人機の行動は虚無の行動に関係していると思われる。
八将陣(はちしょうじん)
虚無の人機特化部隊。
カナイマ・アンヘル
津崎 青葉(つざき あおば)
声:折笠富美子
搭乗機:モリビト2号(下操主だったが、後に単独操主になる)
1988年での主人公。血続。プラモデル作りが大好きな少女。ある日突然ベネズエラへ連れて行かれ、「人機」と呼ばれる巨大ロボットと出会う。その後アンヘルに加わり、操主としてテーブルマウンテンから現れる古代人機と戦うことになる。操主としての天性の才能を持っている。両兵とは幼馴染だが、アニメ版でははっきりとした描写はない。
1991年
搭乗機:ナナツーカスタム
小河原 両兵(おがわら りょうへい)
声:竹若拓磨
搭乗機:モリビト2号(上操主)→モリビト0号
津崎青葉を南米へ(拉致同然の形で)連れてきた張本人。カナイマ・アンヘルに所属し、父・小河原現太と共にモリビト2号の操主を務めていた。軽率で短気な性格。青葉とは幼馴染。
1991年
父の敵を討つためにアンヘルから離れて刀使いを探す旅をしていたが、再びアンヘルに加わる。人機が血続専用機になってからは主に白兵戦や下座席に座り操主のサポートをしている。1988年からの3年間で優れた剣術使いになっており、その腕は八将陣のシバ(後述)や父・小河原現太のかつての宿敵でもあるラオ(後述)と互角に渡り合うほどである。普段は橋の下でホームレス同然の生活を送っていて主食はカップラーメンという日々を送っている。
黄坂 ルイ(こうさか ルイ)
声:田村ゆかり
搭乗機:ナナツー(後に単独操主となる)
青葉と同じ血続で、たまに動く蟹の髪留めがトレードマーク。黄坂南とは養女という関係であり、本名はルイ・ウインドゥ。
プライドの高い子供らしからぬ性格の持ち主だが、時々イタズラや照れ隠しなどの子供らしい一面を見せる。両兵に惹かれている描写が多々見られるが、両兵の方はまったく気づいていない。
1991年
搭乗機:ナナツー・マイルド
3年前は「質」の青葉と相対して「量」のルイといわれていたが今では両方を兼ね備えている。東京に輸送中のモリビト2号を敵から守るために力を使い、それがあだとなり八将陣の一人、カリス(後述)にレイプされそうになったが(その時点では既遂と思われたが、後にカリスがさつき(後述)に撃退された時の台詞から未遂と推察される)、偶然出くわした赤緒と駆けつけた両兵に保護される。その後は再び戦線に復帰し、ナナツー・マイルドでカリスのバーゴイル・シザーを撃破した。
黄坂 南(こうさか みなみ)
声:鷹森淑乃
搭乗機:ナナツー→ホワイト=ロンド(下操主)
黄坂ルイの義母で「回収部隊ヘブンズ」のリーダー。
当初髪型はショートカットだったが、ルイの血続訓練に同行する際にダビングから「ロングにしてください」と言われて以降はロングヘアとなっている。
1991年
新たなアンヘルの責任者に就任。
日本に来て早々、東京に現れた人機について記者会見をするはめになるが、人機およびロストライフ現象などの機密事項を暴露した挙句、操主の募集をメディアを通して呼びかけるという責任者らしからぬ暴挙を披露した。(この後にメディアの力を思い知ることになる)
ベネズエラ政府のことをドル箱としか思っていない。現在判明しているのは基地の追加建設費や少年野球チームのお菓子とジュース代。
歩間 次郎(あるま じろう)
ルイが幼い頃より飼っているアルマジロ(ココノオビアルマジロ)。
津崎 静花(つざき しずか)
声:雪野五月
カナイマ・アンヘルのリーダー。津崎青葉の母親。血続。黒将に協力していた。
モリビト2号と1号との戦いの果てに廃人化。
1988年以前
小河原 現太(おがわら げんた)
声:納谷六朗
搭乗機:モリビト2号(下操主)→モリビト0号
小河原両兵の父親。日野白矢(後述)の師匠にして友人。
1度は怪我が原因で人機を降りるが、黒将を追うために再び人機に乗り戦う。
黒将がつくった赤菜(後述)を庇い、死亡。
川本 宏(かわもと ひろし)
声:平川大輔
カナイマ・アンヘル技術スタッフ。かなり若いが、人機の技術はスタッフ中ナンバー2に位地する。
年の離れた妹が日本に居る。
グレン・ハーデン、古屋谷 英男
声:望月健一、丸山壮史
カナイマ・アンヘルの技術スタッフ。
山野 武利(やまの たけとし)
声:飯塚昭三
カナイマ・アンヘルの技術スタッフを束ねるベテランで、開発当初より人機に関わる数少ない人物の一人。
スタッフメンバーからは『親方』の愛称で呼ばれている。口より先に手が出るタイプ。
石傘 純柱
声:藤本譲
影でアンヘルを支えている謎の多い人物だが、山野と同じ開発当初より人機に関わる数少ない人物の一人でもある。
ジョーイ 中西(ジョーイ なかにし)
アンヘルスタッフの一員で調達係担当。
実は黒将の派遣した八将陣側のスパイであり、一度はアンヘルを裏切ったが、利用されている事に気付き再び仲間になる。

ルエパ・アンヘル
エルニィ 立花(エルニィ たちばな)
声:川上とも子
IQ300の超頭脳を誇る天才。血続。青葉や両兵との出会いがきっかけで彼女は大きな変化を見せ、人機の研究開発に取り組むようになった。
1991年
搭乗機:ブロッケン・トウジャ
若くして人機の設計主任も務めており、搭乗機のブロッケン・トウジャは彼女が設計した。メルJ・ヴァネット(後述)とはよく喧嘩をしているが、劇中で彼女の身の上を知ってからは徐々に心境が変化している。サッカーが大好きで、ブロッケントウジャにもサッカーボールらしき武器を装備していた。
月子(つきこ)、シール
ルエパ・アンヘルの技術スタッフ。

ウリマン・アンヘル
この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。

ベネズエラ政府・軍
ベネズエラ政府首脳陣
人機による軍事大国化を望む12人のベネズエラ政府の官僚たち、秘密の会合で計画を進めている。しかしその会合に参加しているのを知られたくないため、全員動物の覆面を付けている。だが全員お互いの正体を知っているので意味はない。
現在判明しているのは国防長官(ミスタータイガー)、将軍(ミスターレオ)、大統領補佐官(名称不明、羊の覆面を付けている)
1991年
津崎 静香の代わりにアンヘルの代表者になった黄坂 南にドル箱扱いされ、脅迫まがいの方法(過去の八将陣及び虚無との繋がりを公表するぞと)で多額の予算を請求されている。まだ自分たちの言うことを聞いてくれる分、津崎 静香の方がよかったと思っている。
広世(こうせ)
声:宮野真守
搭乗機:トウジャCX(下操主)
当初はトウジャの下操主として登場。
孤児であり、施設で育った友人たちが自分を置いていなくなっていく事に疎外感を持っていた(その感情を黒将と静花に利用されたこともあった)。軍(恐らく静花)から人機の操主としてスカウトされる。
1991年
搭乗機:マサムネ
勝世(しょうせ)
搭乗機:トウジャCX(上操主)
広世の兄貴分で名前も似ているが血縁関係は無い。本人は本当の兄でいたいとも思っている。
「女は早いうちに手を付けておくのに限る」・「死ぬときは女の膝枕」というポリシーがある。
1991年
元々南米で人機の操主を勤めていたが、南米を広世と青葉に任せ操主を辞めた。
辞めてからは諜報員に転職し友次の部下になるが実際はウリマン・アンヘルのパシリ。
ダビング・スール
搭乗機:ホワイト=ロンド(上操主)
ベネズエラ軍所属。元アンヘル監視官。階級は中将。33歳。
黒将(後述)のことをよく知る数少ない人物。右目の下に刀傷がある。少し天然。
アーケイド
搭乗機:トウジャCX(上操主)
ベネズエラ軍所属。階級は少尉。トウジャの上操主を務める。
フィリプス
搭乗機:トウジャCX(下操主)
ベネズエラ軍所属。
アーケイドのパートナーとして下操主を務める。
1991年
搭乗機:ナナツー

虚無(キョム)
黒将
声:浪川大輔
搭乗機:モリビト1号、キリビト・コア(アニメ版のみ)
黒き仮面で素顔を隠してベネズエラ政府の影で暗躍していた謎の人物。血続。
現太に隠されたかつての自分の人機モリビト1号を奪取し、テーブルダストを占拠するためにベネズエラ政府を利用する。モリビト1号破壊作戦の開始直後にモリビト1号の隠し場所を勘で見つけ出すが、小河原 現太率いるアンヘルに取り囲まれ窮地に陥るがスパイとして送り込んだジョーイ 中西を利用し小河原 現太たちの隙をつくり洗脳した広世が操るトウジャに自分ごと攻撃させ(黒将はバリアのようなもので身を守った)、小河原 現太たちを排除しモリビト1号の奪取に成功する。
モリビト1号奪取後、モリビト2号に乗る青葉たちに圧倒的な実力を見せ付けるが、血続としての能力を開花させた青葉によって倒されたと思われたが、青葉たちとの戦闘のわずか数時間後にはテーブルダストの占拠に成功し、テーブルダストでしか採れない人機の動力源である血塊を独占、人機バーゴイルを500機製造し、ベネズエラ政府を裏切ると同時にベネズエラ政府とアンヘルに宣戦布告をする。
宣戦布告後、テーブルダストに単身乗り込んできた小河原 現太に嘗ての妻赤菜の姿をした人形(クローンかどうかは不明)を見せつけ、今の世界を否定するが意見がわれ戦う。
戦闘序盤は小河原 現太と互角の戦いを繰り広げるが途中で謎の力を使い、小河原 現太を圧倒するとともにその力によって命を持たない赤菜の姿をした人形に命を吹き込んだことを語るが、現太がそれを否定したので人形を殺そうとするが現太に邪魔され、この危機的状況下でさえ綺麗事ばかりを言う現太に嫌気が差し、またしても謎の力を使い現太を追い詰め切り捨て、人形をつれて逃げる現太をゾールたちに追わせた後に現太を斬った刀をモリビト1号に踏ませ処分する。
その後、現太の敵を討つためにモリビト0号に乗ってきた両兵を挑発しブラック=ロンドと戦わせる
『エクステンド』で両兵が探している刀使い。
ダビングに今の世界を「人が嘘を吐くことの出来ない、汚く醜い本当の姿でいられる世界」に変えようとしていることを話すが、ダビングからは当初の目的(復讐)とずれが生じていると思われている。
青葉と同じく探し物を見つけるのは得意なようである。催眠術を使うことができる。

八将陣
シバ
声:平松晶子
搭乗機:ブラック・ロンド→キリビト・コア、モリビト1号(アニメ版のみ)
青葉に似た外見を持った少女。性格は正反対で奔放的。
バルクス
搭乗機:O・ジャオーガ
大柄の男。
ハマド
搭乗機:K・マ
褐色の肌で頭にターバンを巻いた男。黒将ほどでないが催眠術が使える。
カリス・ノウマン
声:岩田光央
搭乗機:バーゴイル・シザー
血続。母親から虐待を受けていた影響か、当初は女性に恐怖感を抱いており気も弱かったが、八将陣となってからは好戦的な性格となっている。
ジュリ
搭乗機:CO・シャパール
ラオ
搭乗機:トーキン・フゥ
蛙の様な外見をもった老人。現太とは顔見知りの仲。
マージャ
搭乗機:ゴルシル・ハドゥ
J・ハーン
声:黒田崇矢
搭乗機:ダークシュナイガー
メル・J・ヴァネット(後述)の義理の兄。

1988年以前の登場人物
日野 白矢(ひの はくや)
小河原現太の友人。人機のテストパイロットも兼ねていた。
恋人であった津崎静花が軍の人間に拉致・暴行され、仕方なく軍に対する暴動を鎮圧。その後、彼女を運んでいた高津重工の人間を発見した際に、彼らが暴行したと思い斬り殺し、車で逃走中の軍の人間をモリビト1号で踏み殺した。その後、現太のモリビト0号と戦い、敗れ、モリビト0号から降りてきた現太に後ろから斬りかかったが、赤菜が現太を庇ったため赤菜を斬り、逃走した。
小河原 赤菜(おがわら あかな)
小河原両兵の母親。旧姓大池(おおいけ)。「人機」の生みの親。日野白矢から現太を庇い、死亡。
コール・ウインドゥ
黄坂ルイの実父。回収隊ヘブンズのリーダーであったがヘブンズ基地が襲撃された後に行方不明となる。
黒将(後述)と同等の人機の操縦技術があったといわれている。
立花 相指(たちばな そうし)
エルニィ立花の祖父であり、人機「トウジャ」を設計した人物で山野武利らアンヘルスタッフとも旧知の技術者。作中では既に他界している。

1991年からの登場人物
柊 赤緒(ひいらぎ あかお)
声:稲村優奈
搭乗機:モリビト2号
1991年での主人公。小河原両兵や黄坂ルイとの出会いでモリビト2号の新たな操主となる。血続反応の高さから初対面の両兵に八将陣と勘違いされて首を絞められるがほどなく人違いと分かり和解。その後自分の力を知り、ルイが襲われる現場に立ち会うなどして成り行きでモリビト2号に乗ることになった。3年前以前の記憶がない。当初は戦闘に不慣れだったため敵に捕まることもあったが、戦闘を重ねるごとに日々強くなっている。人機の動力源である血塊炉を停止させる能力「ビートブレイク」を使う。
1988年「ベネズエラ編」で黒将が作った小河原赤菜と同一人物である可能性が高い(同一人物なら3年前以前の記憶がない、幼少期の両兵と青葉のことを知っている、ということの説明がつく)。
川本 さつき(かわもと さつき)
声:野中藍
搭乗機:ナナツー・ライト
アンヘルのメンバーである川本宏の妹で、赤緒やルイと同じく血続の力を持ち人機の操主となる。ルイ同様カリスにレイプされかけたが、たまたまその場に居合わせた両兵により助けられる。その後、再びカリスに襲われるが兄への思いが力を発動させ撃退した。
メルJ・ヴァネット(メルジェイ・ヴァネット)
声:皆川純子
搭乗機:シュナイガー・トウジャ
エルニィのシュナイガー・トウジャを強奪し単独で「虚無」と戦っていたが、成り行きでアンヘルが協力を要請し、補給物資を条件に敵に捕まった赤緒を救出する手助けをする。その後、しばらく彼女がメンバーたちに心を開くことはなかったが、宿敵である八将陣の一人、J・ハーンとの戦いでその心境は大きく変化することになった。劇中はシュナイガー・トウジャで「アンシーリーコート」「アルベリッヒレイン」などの必殺技を使う。本名はメシェイル・イ・ハーン。
柊 五朗(ひいらぎ ごろう)

] 人機
正式名称は「人型特殊才能機」であり、開発当初は「才能機」と呼ばれていた。

1988年からの登場人機
アンヘル
モリビト2号(74式戦闘用人機)
操主:小河原現太&小河原両兵→津崎青葉&小河原両兵→津崎青葉&黄坂ルイ→津崎青葉→1991年:柊赤緒(アニメ版ではルイやさつきも搭乗)
対古代人機用として人を守る為に開発された機体。機体のカラーリングは青、通信用のアンテナを頭部の左側に付けている。
血続専用機だった1号機と異なり、複座式コックピットを採用した。盾であらゆる物理攻撃を撥ね返すことのできるリバウンドフォールドが使える。後にモリビト1号と同じリバウンドプレッシャーが使えるようになる。
モリビト1号との最初の戦闘で大破、修理中に軍から解体命令が下されるが、血塊炉と戦闘データを悪用させないためにモリビト2号、ナナツー、トウジャの血塊炉をブラジルのリオにいる立花相指のもとに運ぶが到着1週間前に他界していた。しかしエルニィ立花とルエパ・アンヘルのメンバーの協力により、立花相指の研究所でスペアパーツを使い復元に成功する。運んできた三つの血塊炉は復元されたモリビト2号に組み込まれた。
その後、エルニィが軍にハッキングして手に入れたデータ(黄坂南が意図的に漏洩した)によって複座式コックピットから1人で操縦可能な血続専用のトレースシステムに変更され、各種武装を追加装備することにより空神モリビト2号となる。
空神モリビト2号
操主:津崎青葉
モリビト2号を飛行ユニットなどの追加武装で強化し、単独での飛行を可能にしたモリビト2号。モリビト2号との違いは肩アーマーの変更と飛行ユニットなどの追加武装の装備。
八将陣の人機5機(O・ジャオーガ、K・マ、バーゴイル・シザー、CO・シャパール 、ゴルシル・ハドゥ)に、相手にたった1機で互角に戦えるだけの高い性能を有していたが、八将陣とモリビト0号との戦闘で追加武装を全て喪失したため、この形態でいた時間は余り長くはない。
追加された武装は強化ECM(胸部装備)、内蔵式のガトリング砲(左腕に装備)、飛行ユニット(背中に装備)、長距離用ライフル(背部ラックに装備)、ソード(背部ラックに装備)、ワイヤー(飛行ユニットに装備)。
モリビト2号エクステンド
操主:津崎青葉&小河原両兵(両兵は機体そのものとなっている)
モリビト2号と0号(と両兵)がブルブラッドの作用により合体して誕生した、人機を超えた機体。作品中では真機と呼ばれている。
その姿はモリビトの意匠を残しつつも大幅な変化を遂げている。真機の名にふさわしい圧倒的な力で1号を圧倒した。
ナナツーウェイ(72式作業用人機、通称ナナツー)
操主:黄坂ルイ&黄坂南(小河原両兵&黄坂南)、黄坂ルイ、アンヘル部隊
作業用として開発された量産型の機体。両腕部をショベルとコンテナに換装可能。一人乗りの初期型も存在する。
「ヘブンズ」での機体は戦闘で破壊された人機の残骸の回収を主任務としていたがモリビト1号との戦闘で大破、血塊炉はモリビト2号に搭載される。
後にトレースシステムを搭載した一人乗り用の機体が軍によって作られ、ルイはそちらに乗り換えている。
モリビト0号(73式戦闘用人機)
操主:小河原現太→小河原両兵
ナナツーをベースに改修された元祖モリビト。火器をいっさい搭載しておらず、武器は日本刀タイプの剣のみ。

ベネズエラ軍
トウジャCX
操主:広世&勝世(アニメ版では広世のみ)、アーケイド&フィリプス。
モリビトの後継機として軍が開発した戦闘用の機体。設計者は立花 相指。動きの速さで相手を翻弄する戦術が得意。武装はブレードと両肩の機関砲。
広世&勝世機はモリビト1号との戦闘で大破、血塊炉はモリビト2号に搭載される(その後、別の機体が配備された様子)。
アーケイド&フィリプス機はモリビト0号に両腕部を破壊された後、銃火器に換装していた(その姿を見たエルニィは愚痴を漏らしていた)。
ホワイト=ロンド
操主:ダビング&黄坂南
ブラック=ロンドの同型機であるが、指揮官機(複座式)のためかブラック=ロンドより性能は劣る。
首都カラカスに落とされた核ミサイルのマーカーとして使われたため、バーゴイル部隊、アサルト・ハシャ部隊共々消滅した。
ブラック=ロンドとの違いは機体のカラーリング(白)、複座式コックピット、ゴーグル型頭部カメラ、武器(アサルト・ハシャと同じ)。
アサルト・ハシャ
操主:ベネズエラ軍一般兵
血塊を潤滑油のみに使用した血塊炉を持たない人機。主な動力源はジェット燃料と電力。ナナツー、トウジャとも互角に戦えるほどのスペックを有する。
無人でも稼動することができる。
バーゴイル部隊と互角に戦うも補給線を叩かれたことで追い詰められ、最終的には核ミサイルによって全機消滅した。
武装はマシンガン、片手剣、シールド。

1991年からの登場人機
ブロッケントウジャ
操主:エルニィ立花
換装により陸海空全てに適応可能の万能機。頭部のボール射出機やシークレットアームなどの特殊装備が特徴。
シュナイガートウジャ
操主:メルJ・ヴァネット
空中稼動を目的として開発された実験機。輸送中にメルJに鹵獲され、そのまま愛機として使用されている。
主な武器は、ハンドガンと全身に装備された銃火器類。
ナナツーマイルド
操主:黄坂ルイ
低コスト化のために女性型として開発された人機。ライトとの連携を前提として設計されており、攻撃を担当する。
ナナツーライト
操主:川本さつき
マイルド同様のコスト削減機。防御担当。リバウンドをフィールド化する「リバウンドフィールド」を搭載している。
ナナツーウェイ青葉カスタム
操主:津崎青葉
モリビト2号を彷彿とさせるカラーリングと右足のリバウンドブーツが特徴。
上昇しか出来ないナナツーの空中制御を可能にしている。
マサムネ
操主:広世
血塊の節約を目的とした実験機で戦闘機形態に変形可能。
しかし、開発者である山野いわく「人型形態は血塊炉の活性化のためのオマケ」。
そのため、装甲も戦闘機並なので人機としての戦闘能力は無いに等しい(敵を殴ったら拳が砕けた)。
終いには山野に「死にたければ(人型形態を)使え」とまで言われる始末。

虚無(キョム)
モリビト1号
操主:黒将(アニメ版ではシバ)
開発当時の最高峰の技術を集結し、初の“戦闘用”人機として生み出された機体。
単独飛行能力を有している。 血続専用機(トレースシステムではない)。搭載している血塊炉が巨大なため、命の力で搭乗者は年をとらなくなる。
原作では白を基調としたカラーリングだが、アニメ版では黒を基調としたカラーリングとなっている。
モリビト1号エクステンド
操主:黒将
モリビト2号エクステンドに対抗して強引にパワーアップしたモリビト1号。
2号とは対照的に、原形を留めていない禍々しい姿に変化した。
ブラック=ロンド
操主:シバ
ホワイト=ロンドの同型機。黒将曰く「モリビト0号同様、余計なモノは一切付いていない純粋な人型人機」。
小河原両兵が操縦するモリビト0号との戦闘で大破。
ホワイト=ロンドとの違いは機体のカラーリング(黒)、単座トレース式コックピット、ツインアイ型頭部カメラ、武器(1本に繋げることのできる双剣)。
キリビト・コア
操主:シバ(アニメ版では黒将)
バーゴイル・シザー
操主:カリス
両腕にシザーアームが装備された近接戦闘重視タイプ。空中戦にも優れている。
O・ジャオーガ
操主:バルクス
K・マ
操主:ハマド
モリビト2号と同じ盾を2つ装備し“リバウンドフォール”が使える。
CO・シャパール
操主:ジュリ
トーキン・フゥ
操主:ラオ
ゴルシル・ハドゥ
操主:マージャ
ダークシュナイガー
操主:J・ハーン
シュナイガートウジャの同型機。
キリビト・ザイ
操主:柊赤緒
アニメ版のみ登場。
バーゴイル
操主:なし(無人)
八将陣の人機部隊。飛行が可能で、無人でありながら他の人機にも劣らない性能を誇る。
武装はモリビト2号の盾と似た形状の銃と肩アーマーを腕に取り付け、剣として使う。
ベネズエラ首都カラカスを制圧するために500機が初めて実践配備された。
アンヘルと協力したベネズエラ軍と互角の戦いをするが核ミサイルによって全機消滅。

2009年02月09日

建国神話に現れる辰韓の六村はのちの新羅六部

建国神話に現れる辰韓の六村はのちの新羅六部であり、王都金城(慶州市)に居住してそれぞれ自立的な政治的集団として存在していたが、王都外部に対しては王京人として結束して優位性を保ち続けた。新羅が周辺諸国を取り込んで領域を拡げていく過程で、これら六部の優位性を維持するために、元来は六部の内部的な身分制度が拡大していき、骨品制が成立したものと考えられている。第3代の儒理尼師今9年(32年)に、元の六村に対して部名を改めるとともに姓を下賜したと伝えられているが、『三国史記』と『三国遺事』との間でも伝える内容が異なっており、姓の表記については高麗の前半期に整備されて付加されたとする見方もある
せいぜつ デスマ バグパイ セミナー ユビキノン バラック フロック ダバッグ パンパ ソドミー リング ウォーム ジョーズ ドーミ クロスバ サイバー バンガ ハミング メンソール しろかもめ ポトス ロリズム ニング ヨヒン ハイク ナビ雑草 レモネード ダウラギ イロード テーション テンショ フルベ ビーフシ マーメ ステイ レリック げんこつ スレーブ フラグ トップモー ランドレ チュクチ モノマー ニーズ トラポコ テンポ エニグ ギャラリー ラスト マーキュリ

『三国史記』新羅本紀によれば、建国の当初のころは「大輔」という官名が最高位のものとして確認されるが、第3代儒理尼師今の9年(32年)に、下表の17階級の官位(京位)が制定されたとする。枠外の官位としては、第23代法興王の18年(531年)に宰相に相当するものとして「上大等(上臣)」が設けられた。また、三国統一に功績のあった金庾信を遇するものとして、第29代武烈王の7年(660年:この年百済を滅ぼす)には伊伐飡(角干)の更に上に「大角干(大舒発翰)」、さらに第30代文武王の8年(668年:この年高句麗を滅ぼす)には「太大角干(太大舒発翰)」という位が設けられた。

新羅王が新たに即位すると、直ちに最高官位の上大等(古くは大輔、舒弗邯)が任命され、その王代を通じて権力の頂点にたつという例が多い。これは貴族連合政治体制の現れであると見られている。強力な王権が確立した三国統一の後にも上大等が任命されるという慣習は続いているが、真徳女王の代になって651年には国家機密を掌握する執事部が設けられ、その長官の中侍が上大等に代わって政治体制の要となった。

京位は首都金城に居住する六部のための身分体系でもあり、これに対して地方に移り住んだものに対しては外位という別途の身分体系を併せ持っていた。しかし百済・高句麗を滅ぼした後、両国の遺民を取り込み唐に対抗していくため、京位・外位の二本立ての身分制度を再編することに努めた。673年には百済から帰属してきた者のうち、百済の2等官の達率の場合には、金城に移住した者に対しては京位10等の大奈麻に当て、地方に留まった者には外位4等の貴干を当てた。翌674年には外位を廃止して、京位に一本化した。さらに唐との戦闘を終えて684年に報徳国を滅ぼして半島内の混乱を収拾した後、686年には高句麗人に対しても官位(京位)を授けた。このときには高句麗の3等官の主簿[7]に対して京位7等の一吉飡を当てた。このようにして、百済・高句麗両国の官位体系の序列を格下げした形で新羅の身分体系に組み入れることによって、それまで三国独自に展開されていた身分体系が新羅の政治秩序のもとに一本化され、統一国家としての内実を整えることに成功したと考えられている。

6世紀以来、新羅は一定の領域に州を設けてその下に郡・村を置き、州には軍主を、村には道使を派遣し、さらに在地の有力者を村主に任命して地方を掌握しようとする、州郡制ともいうべき独自の地方統治を行なっていた。三国統一を果たした7世紀後半からは村を県に改めて、州・郡・県とする支配方法に切り替わっていった。州には都督、郡には郡太守、県には県令を中央から派遣し、さらに州・郡に対しては外司正という検察官を別途派遣する二重化を図った。第31代の神文王の687年には九州が完成し、州治が地方統治の拠点となるとともに、旧三国のそれぞれを三州とすることで、三国の統一を改めて印象付けることに成功したとみられている。

新羅は一貫して首都を金城(慶州市)に保ち続けて遷都をしなかったが、領域の拡大に伴って王都が南東辺に偏りすぎていることが課題となっていた。軍政的側面の強い州郡制の整備と平行して、6世紀中頃よりかつての敵国の地に小京が副都として設けられた。小京に対しては中央から仕臣・仕大等が派遣されて地方行政支援の役割を担うとともに、王都金城の貴族や住民が移住させられて新羅文化の各地への普及が図られた。これら小京は685年に五小京として整い、九州の州治とあわせて地方統治の徹底がなされたと見られる。

4世紀後半から6世紀前半にかけての慶州新羅古墳からは、金冠その他の金製品や西方系のガラス器など特異な文物が出土する[16]。この頃の新羅は中国文化よりも北方の遊牧騎馬民族(匈奴・鮮卑など)の影響が強かったことを示している。

2009年01月24日

普通話(ふつうわ、pǔtōnghuà: プートンホア)

ハンモ サイクロ ジャイル ダゴン ローツェ 夕立ち クフルト マーガ 白菜 エゴイ シプリン ヒート サテラ 黄昏 あくび ぞくげん スコール おきなれ プリスクール トーラス ブルー オートオオ レモンピー 天永 リュード フキ ギアシ ルクセン ジャイロ サイド ジェット ダックス フレア 四天王 マンゴー ピアニスト モヒカン ナビむつ デザイン キュー きつき ストップ じょうさい ヒヤシンス シュミナ リフネ メゾネット イング ダッシュ リング

普通話(ふつうわ、pǔtōnghuà: プートンホア)とは、中華人民共和国において漢民族の共通語として作られた中国語のことをいう。北京語音を標準音とし、北方話を基礎方言とし、典型的な現代白話文の著作を文法規範とする。現代の普通話は中国の公用語であるが、1950年代から60年代にかけて共産党と人民政府により、普通話の名称と簡体字、ピンインの採用などその内容を法律として定められ、各民族も普通話を学ぶことが推奨されているものである。なお「普通(pǔtōng)」の二字は、「普遍的と全体にゆき渡る」を意味する。また他国において外国語教育で教えられる中国語は一般的に普通話である。

発音
発音は北京語音を標準音とする。北京語音というが北京語と全く同じわけではなく、北京語土着の音は含まれない。歴史的には清代、官吏たちの共通音として北京官話が設けられ、中華民国になると五四運動以降、国語運動が起こり、国音として採用された。

語彙
語彙は北方方言を標準語彙としている。北方方言は使用人口が最も多く、また使用地域も東北・華北・西北・西南・江淮一帯と広範囲に分布してるため普通話の基礎語彙として採用された。ただし、北方方言のすべての語彙が採用されているわけではなく、また他の方言語彙でも影響力の大きなものは普通話に採用される。

文法
文法は典型的な現代白話文の著作で使われている文法を標準としている。ここでいう「現代」とは五四運動(1919年)以降のことをいう。白話とは唐代に生まれ、宋元明清を通じて確立されてきた口語に接近した書き言葉のことをいう。白話によって書かれた文学は白話文学といわれる。これに対立する古典的な書き言葉は文言と呼ばれる。近代中国の新文化運動時代になると、言文一致を目指し、文言文を廃して白話文を採用するという白話文運動が展開され、新しい白話文の形が模索された。こうして確立された現代白話文の文法規則が普通話の標準文法として採用されている。

歴史

前史
中国の歴史のなかでも古くから政治的に何らかの共通語が設けられていたと考えられている。春秋時代、『論語』には孔子が『詩経』や『書経』を読んだり、儀礼を行う際に「雅言」を使ったと書かれており、これは統治階層が使っていた共通語ではないかと考えられている。漢代、揚雄が方言語彙を記録した書物『方言』には、「通語」という言葉が現れている。異民族に支配された元代には「天下通語」と呼ばれる共通語があったとされる。明・清時代には官話と呼ばれる官吏たちの使う共通語があったことが知られており、明末に訪れた宣教師は官吏(マンダリン)の言語と呼んだ。明代から清初にかけては南京音を標準音とした南京官話であったと考えられており、満洲民族によって支配された清代になると徐々に首都北京の音を基準とした北京官話が有力になっていった。中華民国となり、新文化運動の時代には言文一致運動にあたる白話文運動が起こり、それまで古典に対する教養を前提とした統治階層の書き言葉である文言文を廃止し、一般民衆が話す言葉に根付いた書き言葉である白話文を使うことが提唱された。そして、1926年には国語運動が展開され、漢民族の共通語を「国語」と呼ぶことが決定され、北京語音が国音として採用された。

普通話の歴史
「普通話」という言葉を初めて使ったのは朱文熊とされる。朱文熊は1906年、『江蘇新字母』において中国語を文言・普通話・俗語の3つに分類した。

中華人民共和国成立後の1955年10月、共産党と人民政府は全国文字改革会議と現代漢語規範問題学術会議を招集し、そこで現代漢民族の共通語の名称「普通話」とその内容が確定された。これを受けて教育部は11月、「中学・小学および各級師範学校において大いに普通話を推し広めることに関する指示」を発表した。翌1956年、国務院が「普通話を推し広めることに関する指示」を頒布して、普通話の名称と内容を法律として定め、同年5月、「各省(市)教育庁(局)において普通話推広処(科)を設立することに関する通知」を発表した。1957年には教育部が「継続して普通話を推し広めることに関する指示」を発表し、1960年には中国人民解放軍総政治部が「全軍において拼音字母を学び普通話を推し広めることに関する指示」を発表し、教育機関や軍隊において普通話を使うことが推奨された。その後、文化大革命により普通話政策は一旦頓挫することなるが、文化大革命終結後、再開され、1982年11月には第5期全国人民代表大会第5次会議で通った『中華人民共和国憲法』に「国家は全国で通用する普通話を推し広める」ことが規定され、普通話の公用語としての地位が確立された。

音韻体系
普通話の音韻体系では、22の子音と10の母音が音素として立てられている。中国語の音節構造は(子音C) + (母音M) + 母音V + (子音C/母音V) / 声調T、すなわち(C)(M)V(C/V)/T である。伝統的な中国音韻学では、先頭部分のCを声母、M以下の部分を韻母に2分し、それに声調を加えて分析している。普通話では21の声母と39の韻母が設けられており、また声調では4つの調類が設けられている。

普通話の音節には入声が存在せず、日本語における促音のようなつまる音に相当する発音がない。普通話のみを母語とする者が外国語を話す際、日本語で「なかった」が「なかた」に近い音なるなど、独特の発音になることがあるのはこのためである。

なお中国語を表す文字は主として漢字であるが、音素を表記するためにピンイン(拼音)と呼ばれるローマ字が使われる。これに声調記号を組み合わせることで発音を表現する。

声母
声母とは中国語の音節構造上、頭子音にあたるものをいう。普通話では21の声母が設けられている。この他に頭子音として半母音の[w, j, ?]が存在し、wとyで表記されるが、伝統的にこれらは韻母に分類される。ただし、小学校のピンイン教育では便宜上、wとyを準声母と見なし、声母を23とすることがある。

調音方法?調音位置 両唇音 唇歯音 歯茎音 そり舌音 歯茎硬口蓋音 軟口蓋音
破裂音
(無声) 無気音 b [p] d [t] g [k]
有気音 p [p?] t [t?] k [k?]
破擦音
(無声) 無気音 z [?] zh [??] j [?] ?
有気音 c [??] ch [???] q [??] ?
摩擦音 (無声) f [f] s [s] sh [?] x [?] ? h [x]
鼻音 (有声) m [m] n [n]
側面音 (有声) l [l]
接近音 (有声) r [?] ?

? r を有声そり舌摩擦音 [?] と分析することもあるが、無声・有声の対立が他に無いこと、および実際の発音で摩擦が必須ではないことから、そり舌接近音 [?] と見なすのが適切である。
? j, q, x ([?, ??, ?]) の三者は独立の音素ではなく、z, c, s ([?, ??, s])、zh, ch, sh ([??, ???, ?])、g, k, h ([k, k?, x]) のいずれかの三者の異音と見なされる。一般には、g, k, h の異音と見なすのが好まれる。この組が b, p, f および d, t, l の各組と並列になるためである。普通話の点字はそのようになっており、ピンインの j, q, x の点字はそれぞれ g, k, h の点字と同じである。

韻母
韻母とは、中国語の音節構造上、頭子音を除いた残りの部分をいう。介音、主母音、尾音からなる。介音は半母音の /-i-/, /-u-/, /-y-/ のいずれか、尾音は半母音の /-i/, /-u/ および鼻音の /-n/, /-ŋ/ のいずれかである。普通話の韻母の重要な特徴は、主母音の /a/ と /?/ の対立である。

主母音 尾音 介音
Ø /i/ /u/ /y/
/a/ Ø [?]
a [i?]
ya [u?]
wa
/i/ [a?]
ai [ua?]
wai
/u/ [a?]
ao [ia?]
yao
/n/ [an]
an [i?n]
yan [uan]
wan [y?n]
yuan
/ŋ/ [?ŋ]
ang [i?ŋ]
yang [u?ŋ]
wang
/?/ Ø [?]
e [i?]
ye [uo]
wo ? [y?]
yue
/i/ [e?]
ei [ue?]
wei
/u/ [??]
ou [i??]
you
/n/ [?n]
en [in]
yin [u?n]
wen [yn]
yun
/ŋ/ [?ŋ]
eng [i?ŋ]
ying [u?ŋ]
weng ? [y?ŋ]
yong
Ø [z?]
-i [i]
yi [u]
wu [y]
yu

? ピンインでは b, p, m, f のあとに o を用いるが、これは他の頭子音のあとの uo と同じである。
? /u?ŋ/ は頭子音があると [?ŋ] に変わり、ピンインも weng から -ong になる。

r化した韻母を以下に示す。

主母音 尾音
(r化) 介音
Ø /i/ /u/ /y/
/a/ Ø [??] [i??] [u??]
/i/ [??] [u??]
/u/ [a??] [ia??]
/n/ [??] [i??] [u??] [y??]
/ŋ/ [???] [i???] [u???]
/?/ Ø [??] [i??] [uo?] [y??]
/i/ [e?] [ue?]
/u/ [???] [i???]
/n/ [??] [i??] [u??] [y??]
/ŋ/ [???] [i???] [???] [y???]
Ø [??] [i??] [u?] [y??]

r化は /-i/ および /-n/ を単に削除し、また /-ŋ/ を削除して主母音を鼻母音化する。


以下に伝統的な分析を示す。普通話の韻母の種類には単母音で構成される単韻母、二重母音・三重母音で構成される複韻母、音節末子音が鼻音で構成される鼻韻母がある。なおいくつかの方言に見られる破裂韻母(入声)は普通話には存在しない。また複韻母についてa, e, o から始まる下降二重母音の韻母を前響複韻母、i, u, ü から始まる上昇二重母音の韻母を後響複韻母、三重母音の韻母を中響複韻母という。韻母はまた発音開始時の口の開き方から四呼の4つに分類される。

開口呼 斉歯呼 合口呼 撮口呼
単韻母 -i [?][?] i [i] u [u] ü [y]
a [?] ia [i?] ua [u?]
o [o] uo [uo]
e [?]
ê [?] ie [i?] üe [y?]
er [?]
複韻母 ai [a?] uai [ua?]
ei [e?] uei [ue?]
ao [??] iao [i??]
ou [o?] iou [io?]
鼻韻母 an [an] ian [i?n] uan [uan] üan [y?n]
en [?n] uen [u?n]
in [in] ün [yn]
ang [?ŋ] iang [i?ŋ] uang [u?ŋ]
eng [?ŋ] ueng [u?ŋ]
ing [iŋ/i?ŋ] ong [?ŋ] iong [yŋ/y?ŋ]

通常全ての母音は口母音で発音されるが、[ŋ] で終わる音節の母音は、儿化しなくても鼻母音で発音されることが多い。

韻母はさらに韻頭・韻腹・韻尾の3つの部分に分けて分析される。韻頭は上昇二重母音の始めの音色である狭母音あるいは半母音を表し、介音と呼ばれる。韻腹は単母音あるいは二重母音・三重母音中、最も際だった音色の母音を表し、主母音と呼ばれる。韻尾は下降二重母音の終わりの音色である狭母音であるか音節末の鼻音子音を表し、尾音と呼ばれる。ピンインによる音声表記はこの3分法に対応している。

例字 声母 韻母
韻頭 韻腹 韻尾
介音 主母音 尾音
母音 子音
? m a
? t i ê
宝 b a o
根 g e n
王 u a ng
水 sh u e i
元 ü a n
二 er

声調

普通話の四声中国語は音節内の音高の違いによって意味を弁別する言語であり、この音節内の音高パターンを声調という。声調の種類のことを調類といい、普通話には陰平・陽平・上声・去声の4つの調類が設けられている。これを四声ということがある。なお古代中国語に平声・上声・去声・入声と呼ばれる四声があったが、普通話では平声が2つに分かれて陰平と陽平になり、入声は消滅している。

調類 声調値 例字 拼音 国際音声記号
陰平(第1声) 55 租 zū [?u?]
陽平(第2声) 35 白 bái [pa???]
上声(第3声) 214 水 shuǐ [?ue????]
去声(第4声) 51 句 jù [?y??]

また声調は音の高さだけでなく、音の長さにも関わっている。普通話の四声では上声が最も長く、その次に陽平、陰平、去声の順で短くなる。このため声調によって音が変化する場合があり、例えば、韻母ueiの主母音は上声でははっきりと発音されるが、他の声調ではあいまいであったり、省略されたりする。

連音変化
音節と音節が結合し、語や文が作られる過程の中で音の変化が起こることがある。代表的な音変化に以下のようなものがある。

軽声
軽声とは、単語や文のなかで音節が本来の声調を失うことをいうが、声調が音の高さによって特徴づけられるとすれば、軽声は音の強さによって特徴づけられ、短く弱い調子で発音される。その音の高さは、その音節本来の声調とまったく無関係に、前の音節の声調によって決められる。

調類 声調値 例 拼音
陰平(第1声) + 軽声 2 桌子 zhuōzi
陽平(第2声) + 軽声 3 牌子 páizi
上声(第3声) + 軽声 4 椅子 yǐzi
去声(第4声) + 軽声 1 帽子 màozi

声母の無気破裂音・破擦音は軽声では有声音化しやすい。

b[p]→[b]
d[t]→[d]
g[k]→[g]
j[?]→[?]
z[?]→[?]
zh[??]→[??]
また韻母の主母音は中央寄りとなり、あいまい母音化する。例えば、「爸爸」は[pa51pa51]から[pa51b?1]となる。

変調
変調とは、後の音節がもつ声調との関係や文法的機能により声調が変化することをいう。

上声 + 上声 - 上声が連続する場合、前の上声は声調値が35、つまり陽平になる。
上声 + 上声以外 - この場合、上声は低くなったまま高く成らず、声調値が211となる。これを半上と呼ぶことがある。
上声 + 軽声 - これも半上211となることが多い。ただし、本来上声であった軽声の場合は陽平35で発音する場合と半上211で発音する場合の2通りがある。例えば、哪里(どこ)は陽平で発音され、姐姐は半上で発音される。
上声が3つ連続する場合 - 言葉の構造により、変調の状況も異なる。例えば、「冷水澡 lěngshuǐ zǎo」のような「2つの音節のある言葉(冷水、冷たい水)+1つの音節のある言葉(澡、シャワー)」の構造なら、最後の上声だけ本来の上声で発音し、前の上声はすべて陽平35で発音する。逆の場合なら(例えば、「母老虎 mǔ lǎohǔ」、「1つの音節のある言葉(母、メス)+2つの音節のある言葉(老虎、トラ)」)、2つ目の上声だけは陽平35で発音する。
上声が3つ以上連続する場合 - 話すときの速さによって異なる。簡単に言えば、最も早い場合、最後の上声だけ本来の上声で発音し、前の上声はすべて陽平35で発音する。
去声 + 去声 - 去声が連続する場合、前の去声は低くなりきらず、声調値53となる。これを半去と呼ぶことがある。
以上のような普遍的な変調の他に、特殊な語や品詞において起こる変調がある。

不 bù - 「不」は通常、去声51であるが、去声が続く場合には陽平35で発音される。また補語を表す接中辞や反復疑問文といった文法的機能を表す場合には軽声となる。
一 yī - 「一」は本来、陰平55であり、単独で発音される場合や語末で発音される場合、序数を表す場合には変調しない。しかし、後ろに去声が続く場合には陽平35で発音され、去声以外の声調が続く場合には去声51で発音される。また動詞を重畳するとき間に入れられる「一」は軽声で発音される。
七 qī・八 bā - 「七」「八」は本来、陰平55であるが、次に去声が続く場合、陽平35で発音してもよいし、従来通りに発音してもよい。
形容詞 - 重畳で構成される形容詞の後半部分はもとの声調がなんであるかに関係なく、すべて陰平55で発音される。例えば、「好好儿的 hǎohāorde」、「漂漂亮亮 piàopiaoliāngliāng」、「暖洋洋 nuǎnyāngyāng」など。

r化
r化(アル化)とは語が接尾辞-r(漢字では儿で表記する)を伴う場合、韻母の母音を調音する際に舌先が持ち上げられ、r音性母音となることをいう。r化に伴い従来の音節構造に変化が起こるものがある。

複韻母のうち、韻尾が i [?]であるものは i が脱落する。
鼻韻母の鼻音韻尾は脱落する。ただし、韻尾がng[ŋ]であったものは母音が鼻母音として現れる。
単韻母のうち、iまたはüで構成される音節はそのあとに[?]が加えられ、二重母音化する。これはnを脱落させたin・ünにも当てはまる。
zi・ci・si、zhi・chi・shi・riは声母に[?]が加えられた音節に変化する。

台湾の中国語との関係
第二次世界大戦後も国共内戦を戦った中華民国の中国国民党は、毛沢東の中華人民共和国成立と前後して台湾に撤退したのち、中国語により台湾の統治を行った。台湾の公用語である中国語には普通話という名称は用いられないが、英語での名称としては中国の普通話も台湾の中国語も、現代の標準的な中国語または漢語としてどちらもマンダリン (Standard Mandarinもしくは一般的な名称として Mandarin)と呼ばれている。台湾人も英語で会話をする際に、自分たちの中国語を Mandarin と呼ぶことは少なくない。

なお清朝から中華民国となった時代に「國語」の呼称が採用されたが、この呼称が現代の台湾に引き継がれている。

2009年01月17日

イアフメスの人格や政策が詳細に記録

ヘロドトスの『歴史』には、イアフメスの人格や政策が詳細に記録されている。その記述に従うと、元来イアフメス2世はシウプという町の平民の出であり、若い頃より酒好きで悪ふざけを好み、しばしば盗みを働いて逮捕されるなどしていたという。王位についた後もこの性分は改まらず、朝のうちは政務に勤しむが、その後は酒を飲みふざけ散らしていた。王のこのような振る舞いを心配した臣下達は王を勇めたが、イアフメス2世はまるで聞く耳を持たなかった。以下は『歴史』第2巻173節に記された臣下とイアフメス2世のやり取りである。訳文は松平千秋氏のそれに従う。
チルー オストメ ミモレ サイド ジャック プレクリ スコポフ きゅうてい スパイス ウフジ ラップ トーシュズ サイレン ノーカ キンセン チャイルド スター ホンコン デックス きゅう メトセク ルーキー バリヤー シュルレ フォトス フィブリン トリプタン ソユーズ ワゴン シェア すあわ ステージ ボケSEO ムルロ グルベド どふぇ ユニオ スマッ ブレテ アイス テーブル ファシズム 男船日本 未来地図 端玉アク シブシップ 長崎赤 ケイトウ モンゴ サイフォン

「王よ、あまりにも下賎な振舞いをなされるのは、国王としての御身を律せられる正しい仕方ではありますまい。王様にはいかめしい玉座にいかめしくお座りになって、終日政務をお執りになることこそ似つかわしいのでありまして、かくてこそエジプト国民も偉大な統治者を戴いていることを自覚いたしましょうし、王様の御評判も良くなるに相違ありません。現在のようななさられ方は、決して帝王に相応しいことではありません。」
「弓を所持するものは、これを用いる必要のある時は引き絞るが、使い終わればゆるめておくものじゃ。弓というものはいつも張ったままにしておけば折れてしまい、肝心な時に物の用に立たぬようになる。人間の在り方もこれと同じことじゃ。常時謹厳に徹せんとのみ心掛け、時にはくつろいで遊ぶという気持がなくば、本人も気付かぬ内に乱心したり呆けたりすることにもなろう。予はこの理を心得ているが故に、両者をほどよく使い分けているのだ。」
実際に当初はイアフメス2世が平民であることを理由に、エジプト人は彼を軽んじたと言う。しかし彼は次第に周囲の支持を獲得することに成功した。ヘロドトスによれば、イアフメス2世の治世下においてエジプトは空前の繁栄を迎えたと言う。彼は各地で熱心に建築活動を行う一方、ナウクラティスに移住したギリシア人達に商業上の特権を与えて対外貿易の拡張を図った。また、ギリシア贔屓であり、デルフォイのアポロン神殿が火事で崩壊した際には多額の再建費用を提供したとも伝えられる。そして対外的にもキプロスを服属させることに成功し、新バビロニアとも一時的な衝突はあったものの関係改善に成功して国境を安定させた。

アケメネス朝のエジプト征服
イアフメス2世の治世末期頃からオリエント世界の政治情勢は激変を迎えることになる。それはアケメネス朝の出現であった。アケメネス朝はペルシア帝国とも呼ばれ、かつてはメディアに従属していた小王国であったが、キュロス2世の時代にメディアから離反し、逆にこれを併呑した(紀元前550年)。

この事態に対し、イアフメス2世は当時の新バビロニア王ナボニドゥス、リュディア王クロイソスらとともに同盟を結んで対応した。しかし、数年のうちに新バビロニアもリュディアもキュロス2世によって滅ぼされてしまい、エジプトへの侵攻も時間の問題であった。キュロス2世がカスピ海地方での戦いに忙殺され、マッサゲタイ人との戦いによって戦死した(紀元前530年)ために、エジプトへのアケメネス朝の進軍はかなり後のことになったが、キュロス2世の後継者カンビュセス2世は紀元前526年末、もしくは翌年の初頭にはエジプト遠征を開始した。

イアフメス2世はこれに対抗するために戦争準備に奔走し、サモスの僭主ポリュクラテスとの同盟が結ばれた。しかしポリュクラテスは敵が接近するとアケメネス朝側に寝返り、さらにイアフメス2世自身も戦いの直前(恐らく紀元前526年末)に歿し、息子のプサメティコス3世(プサムテク3世)が王位を引き継いだ。翌年、プサメティコス3世はやはりイオニア系ギリシア人とカリア人の傭兵を主力とする部隊を率いてナイル川のペルシウム河口に布陣、ペルシア軍と相対したが完敗を喫しメンフィスへと後退した(ペルシウムの戦い)。

この時点でプサメティコス3世の下にカンビュセス2世から降伏を勧告する使者が送られてきたが、プサメティコス3世は使者を殺害して篭城した。そしてメンフィスで最後の戦いが行われ、エジプトの敗北に終わった。プサメティコス3世はカンビュセス2世の下に引き出され詰問と侮辱を受けたものの、その受け答えの立派さに感銘を受けたカンビュセス2世はプサメティコス3世を処刑せずにおくことにしたのであった。

しかしプサメティコス3世は到底従属王の地位に満足せず、叛乱を企画したために処刑され、第26王朝は終焉を迎えた。

歴代王
マネトは第26王朝の王として、恐らく第25王朝の臣下であった時代のサイスの支配者からリストを始めている。以下の一覧はマネトが記す歴代王の一覧であり、括弧内は対応すると考えられる同時代史料に登場する王名である。

アンメリス
ステフィナテス (テフナクト2世)
ネケプソス (ネカウバ)
ネカオ (ネカウ1世)
プサンメティコス (プサムテク1世)
ネカオ (ネカウ2世)
プサンムティス (プサムテク2世)
ウアフリス (ウアフイブラー)
アモシス (イアフメス2世)
プサンメケリテス (プサムテク3世)
また、第26王朝についてはヘロドトスによる詳細な記録が残されている。彼の記している第26王朝の王名と歴代の王名の対応は以下の通りである。

ネコス (ネカウ1世)
プサンメティコス (プサムテク1世)
ネコス (ネカウ2世)
プサンミス (プサムテク2世)
アプリエス (ウアフイブラー)
アマシス (イアフメス2世)
プサンメニトス (プサムテク3世)
次に、同時代史料に登場する歴代王の一覧を記す。王名は原則として「即位名(上下エジプト王名)・誕生名(ラーの子名) 」の順で記し、その他広く通用している王名を括弧内に記す。在位年は参考文献『ファラオ歴代誌』の記述に基づく。

ウアフイブラー・プサムテク1世(プサメティコス1世 前664年 - 前610年)
ウアフエムイブラー・ネカウ2世(ネコ2世 前610年 - 前595年)
ネフェルイブラー・プサムテク2世(プサメティコス2世 前595年 - 前589年)
ハアイブラー・ウアフイブラー(アプリエス 前589年 - 前570年)
クネムイブラー・イアフメス2世(アマシス 前570年 - 前526年)
アンクカエンラー・プサムテク3世(プサメティコス3世 前526年 - 前525年)


^ エジプト以外の3大国は、リュディア王国、メディア王国、新バビロニア王国。
^ 参考文献『考古学から見た古代オリエント史』注釈p108の記述による。
^ 『歴史』第2巻150節 - 152節。以下『歴史』の記述を多用するが、ヘロドトスの叙述がどの程度信頼できるかについては議論があり、単純に全てを史実であるとすることはできない
^ 『歴史』第2巻154節
^ 無論、当時のエジプト人が意識するとしないとに関わらず、活発な対外交渉の結果として異文化の影響も著しかった。
^ 『歴史』第2巻157節
^ 『歴史』第1巻105節
^ メディア人はペルシア人などと同じくインド・ヨーロッパ語族の言語を話した人々。メディア人に関する歴史も、ヘロドトスの記録が中心となる。
^ カルデア王国とも言う。新バビロニアと言う呼称は、紀元前18世紀頃の古バビロニアと区別した呼称である。
^ ネコ2世がユダ王ヨシヤを殺害したと言う旧約聖書の記述は、説明が不明瞭で詳細がよくわかっていない。大まかなまとめについては参考文献『聖書時代史 旧約編』p161 - 162を参照。
^ ちょうどこの頃、ヌビアの中心はかつてのナパタからメロエへと移っている。これをプサメティコス2世の遠征と関連付けて考える学者もいる。
^ 『歴史』第2巻161節
^ ヘロドトスの記述を信ずるならば、アプリエスはパタルベミスという部下に対し、イアフメス2世を降伏させてつれてくるように指示したが、パタルベミスがそれを果たせず一人で帰ってきたことに怒り彼の鼻と耳をそぎ落とさせた。これを見たエジプト人の重臣達はイアフメス2世の下へと走ったと言う。